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中馬市長の大大阪案-3月21日第3回勉強会資料3

3月21日の勉強会事前資料です。上写真は地下鉄3号線「なんば元町駅」で開通式のテープを切る中馬・大阪市長=1965年10月1日by毎日新聞より。

「大阪都構想の対案」(著:西脇邦雄)をベーステキストに使っています。

□中馬市長の大大阪案

・政令指定都市が妥協の産物であったことから1963年社会党・共産党・民社党、各労働組合から支援を受けて当選した中馬 馨市長は大都市制度改革と市域拡張をあらためて主張。大阪市の市域拡張が遅れた理由は、大阪府の行政領域が狭くなることから大阪府が阻止したとし、大阪市域が狭小であることにより

①豊中・吹田・東大阪等を一体とした全体的な都市計画が立てられない
②水道行政も周辺市と一元的にできれば効率がよい
③地下鉄の市外延伸が困難。万博後20億近い赤字が見込まれるため北大阪急行として対応したが、吹田市が大阪市内であれば、税投入ができたはず。

とし、都市が適正規模に一体化することが行政の計画性、税金の高率化からも必要とした。

中馬市長は25年後の大阪の長期計画として、20km圏を大阪市に合併、芦屋伊丹西宮、池田箕面寝屋川、藤井寺高石そして隣接都市10市と尼崎の19市をもって大阪の将来の市域として総合計画を立て、まず隣接10市の一体化が適当ではないかという提案を行った。

・それに対して左藤義詮大阪府知事は、「市域拡張だけで大都市問題は片付かない、内野は内野でしっかり守備していただき、内野は再開発に専念し、都市の中枢管理機能の強化に力を入れてほしい」と反論している。

・この論争の背景には、高度成長期による農村からの人口集中、地価高騰、住宅不足、交通渋滞、公害問題がある。都市問題が単一の府県や市町村では対応が難しいと考えられていた。

実際に、新たな広域行政の要請として、府県合併の現実味もあった。

阪奈和合併構想

・1963年関西経済連合会は、大阪・奈良・和歌山の阪奈和合併構想を申し合わせ国に要望した。1966年には都道府県合併特例法案が政府から国会に上程(結局廃案)。

志半ばで死去された中馬市長

・中馬市長の大大阪提案の特徴は、大阪市域の拡張:当時昼間人口が110万人を超える母都市大阪市と隣接市の統合提案であり、それが阪奈和府県合併と合わせて議論されたところに特徴がある。大阪市だけでなく、大阪府も広域化を追求し、現在の都市州に至る提案を展開した。

残念ながら1971年11月に中馬市長は三期目に死去。その後オイルショックと財政危機の元、大阪市のモンロー主義(対大阪府・加えて対私鉄が有名)が蔓延し、いわゆる「府市合わせ」の時代が続く。

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3月21日第3回勉強会「いわゆる都構想」再考。

 

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