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幻の特別市ー3月21日第3回勉強会資料2

3月21日の勉強会事前資料です。上記参考資料:大阪市行政区変遷の歴史

「大阪都構想の対案」(著:西脇邦雄)をベーステキストに使っています。

■戦後の民主化と特別市制定

□1945年東京を除く五大都市が五市長連名で府県からの独立要望書を連合軍総司令部や内閣に提出、1946年には「特別市制法案(暫定)」を共同発表。

・文化的通商的地位は全国レベルだけでなく国際的意義がある
・事務機構、職員組織も何ら府県と変わらない、とし、

「概ね府県と同じ実力があるのに府県の監督下に置くことは、大都市の自由な活動を制約阻害し、形式行政に堕する」のみとし「二重行政の弊」が少なくないと断じた。

□1947年日本国憲法の施行と合わせて地方自治法も施行地上自治法案要綱の第七に特別市に関する事項が明記された。

・特別市は
①人口50万人以上、
都道府県の区域外とし、③市長、助役等を置き、
④行政区を設け、⑤行政区には区長や選管等を置き、
⑥法律に特別の定めがあるものを除く外、特別市は「都道府県」に関する規定を適用する。
東京都の区のみ特別区と称し、原則「市」に関する規定を適用し、都は条例で特別区について必要な規定を設けることができるものとする

□当然ながら、五大都市を要する府県は猛烈に反対した。

大阪府は、大阪市が大阪府から独立すれば、大阪市と残存区域との総合行政が困難となり、広域行政の要請に逆行するとした。

さらに日本国憲法第95条の規定によれば、地方自治体の住民投票の過半数の同意を得なければ、五大都市それぞれが特別市に移行することはできないと解釈された。

反対する府県側は、住民投票の範囲を府県の範囲にするように政府及び連合国軍司令部に働きかけ、1947年、特別市制定条件としての住民投票範囲は府県であると閣議決定し、地方自治法が改正された。当時の五大都市人口は府県の過半数ないため、特別市制定は事実上困難となった。

□1948年大阪市会は「大阪市を特別市に指定する法律案提出に関する意見書」を提出。1947年に大阪市周辺九町村が大阪市編入促進期成同盟を結成し大阪市に陳情していた。(1955年6町村合併したのが第三次市域拡張となる)

大阪市は特別市となるための住民投票範囲を大阪市内に限定する意見書を出したり、大阪府は特別市の規定自体を地方自治法から除く意見書を出したり応酬が続いた。

□1953年大阪府赤間文三知事のもと、府会は「大阪産業都建設の決議」を行う。この決議案では、大阪府と大阪市を廃止し、大阪市内に都市区を置く内容で維新の大阪都構想とほぼ同じ内容が提案された。これが1回目の大阪都構想の提案である。

□1955年大阪府地方自治研究会の元、大阪府を商工都とし、大阪市の行政区とそれ以外の市町村を25程度の自治区とする「大阪商工都」提言がなされた。

上記一連の流れが大阪府と大阪市の対立のスタートであり、第1回目の論争といえる。

□政府も事態収拾に動き、五大都市と五大府県に妥協案を提示。1956年地方自治法から特別市規定を削除し、新たに五大都市を念頭に置いた第二五九条の一九以下「大都市に関する特例」が盛り込まれ、五大都市は「指定都市」と呼ばれ、「政令指定都市」という名状が定着していくこととなった。

参考資料:大阪市行政区変遷の歴史

お申込は下記画像をクリックしてください。

3月21日第3回勉強会「いわゆる都構想」再考。

 

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