3月21日の勉強会事前資料です。(上記写真はwikipediaより抜粋)
「大阪都構想の対案」(著:西脇邦雄)をベーステキストに使っています。
□市には2つの誕生日
①1889年4月1日市政施行(横浜・神戸・堺等)、②廃藩置県後、東京・京都・大阪の三大都市圏には無産階級が多く、三市の統治をどうするかは明治政府の大きな課題であり、10年間府知事が市長兼務する市政特例を敷いた。1899年10月1日この市政特例廃止で東京・京都・大阪に独立した市長が誕生(大阪市は田村太兵衛)。
□1922年10月六大都市行政監督ニ関スル件公布
東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸が府県の許認可の一部を管轄
□1926年6月六大都市行政監督特例公布
六大都市が府県の域外化を主張、市役所・区役所・議員定数・条例の改廃を管轄
背景:人口集中による大都市問題が始まり、内務大臣と府県知事の二重監督を廃し、直接内務大臣監督下に置くことを要求。特に交通、建築、警察の3つの委譲が争点となった。
□關一市長の大大阪
ちょうどこの頃、1923年関一大阪市長が就任。大阪市行きを超えた都市計画を策定し、東成郡、西成郡を含めた大規模な合併(1925年第二次市域拡張)を行い、大大阪といわれる時代をつくる。181km2、211万人で日本第一、世界第6位の都市となる。幅員44mの御堂筋を計画、1932年には地下鉄が開通。大大阪圏の母都市としての役割を形成。
お申込は下記画像をクリックしてください。